ぐるりのこと。

俺の日記とリリックノート

田舎には表現がない

時間に対して吝嗇、そのくせ目標は具体的でない

杞憂だろうことに押しつぶされそう

今自分は恐れていて、恐れは恐れでしかないことを早く飲み込もうとしていて

弱い自分が嫌いで、そのくせ強がって

大好きなものを手放して迷ってる

大口叩いて退路を断って不器用なりの匍匐前進を這いずり回ると呼んで

子供じみた自分が嫌いで苦しくても時間は経って

 

以下はいつだかにメモしていた言葉の投稿。

 

田舎は閉塞的だ。少しでも普通から外れると格好の餌食だ。人と違うことを言おうもんなら舐めてかかりその芽を潰すことに必死になる。だから多くの人間が同じように少し遅れた流行で着飾って、口を揃えて幸せという。

 

よく言えば動物的な合理性を持っているのかもしれない。

 

都会と田舎の普通は同じではない。都会で普通を演じるのは簡単だ。簡単じゃないよというのなら、あなたはやっぱり変わり者か都会人なのだ。そっちとこっちじゃ土壌が違う。田舎の人間は興味のない人間であってもよく見定める。おかしいところはないか検品するかのように舐め回す。どこかが他と違っていたら言いふらさずにはいられない。おかしいところが良いか悪いかを個人では考えない。義務心にかられて意思決定の味方である大多数というぬるま湯に報告をするのだ。田舎で普通に生きるというのは至難の技だ。自分の判断を捨て、心から流されなければならない。

 

都会と田舎で生活したことのない人間には分からないかもしれないが。

 

だから都会に住んで田舎に足をのばすというのは大正解かもしれない。お互いの良いところだけが見えるのだから。誰も旅行者に自分のテリトリーが侵されるなんて考えやしない。

センスは都会で磨けばいいし、技術と精神は田舎でも少なからず磨ける。

 

己の精神性の完成も間近だ。たくさんの敵がいるっていうのは精神の軸を考える上では好環境だ。

だがもうセンスのない人間に囲まれるのはうんざりだ。表現のない人間は悪い意味でただの動物だ。誰も俺の思う人間らしく生きていない。田舎には表現がない。センスの部分が子供のまんまだ。

 

価値観なんて合わなくていいと思っている。俺が俺でなくなるし君が君でなくなる。少なからず時間の流れは遅くなる。

子供の頃から諦めることは簡単なんだ。

この考えは間違っているのだろうか。俺は自負心だったり自尊心だったりが壊れているのだろうか。はたまた彼の言う通り自惚れ続けているのだろうか。

 

今はとにかく早く都会に出よう。技術と精神を早く完成させなければいけない。

 

俺のこの考えが錯覚かどうかを確かめるために。

覚えられているかわからない約束のために。

 

今日は数少ない本音を言える友人と酒を飲めるんだ。

 

一点だけこの考えに穴があるとするならば、俺が都会で過ごしたのは人生の夏休みだったってことくらい。